日々のこと」カテゴリーアーカイブ

機に向かう気持ち

 

二重組織

経糸はしっかり計画して

緯糸と踏木の足運びは機に座ってから

模様の大きさはその場で考え

色合わせもその場で

これを料理に例えると

材料を目の前にして

さてこれで何が作れるかしら?というところ

おーい、

記憶のカケラを呼び覚ます

意図しない模様づくりに

何が起こるかわからない楽しさを

時々 あえてつくってみる

合う糸 合わない色 けっこう頭を使い

進んだり戻ったりしながらも

色づくり、糸紡ぎへの意識が深まって

こんなやり方もたまには楽しい

この春はいろいろ織ってみる

できるだけ色もたくさん使い

明るい雰囲気に

そう思って進んでみたら

またこれからの織りへの想像もふくらんできて

まわりからの刺激もいい具合に受けて

秋・冬に向けて動き出しています

 

 

 

大人とは

小学生のころ、早く大人になりたかった。早く20代に。早く30代に。早く40代になりたかった。大人になればこのもやもやが晴れると思っていた。

なのに、学校を卒業しても、社会で働くようになっても、その願いはなかなか叶わなかった。

それが、何故かいま、ようやく終わったと最近気付いた。同時に、気付くのが遅かったとも。思い返すと時代を謳歌した思い出があまり無い。遠い未来にばかり想いを馳せていたせいかもしれない。心ここに在らず。常に足が地面からちょっと離れた感覚。

わたしにとっての「大人」は、ただ年齢を重ねた人のことではなくて、世界中に散らばっているかけら、今生きていくために必要なかけらを、感じて、受け入れ続けた人だったのかもしれない。

「かけら」は、ある日のできごとだったり、出会う人だったり、場所だったり空気だったり食べるものだったり使うものだったり、いろいろ。本当にいろいろ。それが自分に合っているかどうかも重要。

ここ数年、外に向いている意識を内にすることを続けてきた。いつもそうするのは難しくて、いつもいつもできるわけではない。せっかくいい調子だったのに、落ち込んだり体調を崩したりうまくいかない事はたくさんある。その度に外に散らばってしまった氣持ちのかけらを中心にもどすような作業をこつこつしてきた。

この気づきのきっかけをくれたのは子育てかもしれない。この子は何が好きで何が苦手?嬉しい?悲しい?笑っていたかと思えばあっという間に泣き始める。気持ちにまっすぐな子ども。表情、体調、動き、雰囲気、小さな身体から発せられるエネルギーのサインを観察しているうちに、「自分を知ること」「受け入れること」が身についてきたのかもしれない。

この文章、もしかしたら自分にしかわからないかもと思いながら、それでも文字にしてみた。

もう早く大人になりたいとは思わない。もや は晴れていて、今を見つめている。

あたらしい事ができそうな気がしています。

 

 

 

 

いま

内側からわきおこるチカラがこの頃ぜんぜん感じられない。こういう時どうしたら良いのかは、もうとっくに分かっているのに勝手に進めないでいるのは、なんでなんだろう。すごくすごく停滞している。

ゆっくり振り返る。

初めての土地で迎えた冬の暮らしについていくこと。雪の多さ、風の脅威、空の暗さ、家族の怪我、自分の体調不良。いっぱいいっぱいになっていたのかもしれない。

体力的に疲れが溜まって、いつしかそれが気持ちのほうにまできてしまったのかもしれない。

屋根から雪崩れる雪の大きな音を聞きながら、ここに記す作業が自分をすこし癒してくれることに気付く。

今これからどうしていきたいのかな?

物を手放す。部屋を掃除する。好きなものを集める。糸を紡ぐ。布を織る。理想的な暮らしは実行に移さないからいつまでも理想のまま。現実にするための行動力が必要。そうそう、そうだった。行動にうつすチカラ、続ける努力。まだまだやりたいことがある。新しい土地でのイベント出店もしてみたいし、織物を通じて新しい出会いもしていきたい。そうそう、がんばれ。自分にエールをおくってみる。できる、できるよ。

記すと叶うこともある。

 

新しい風を感じたくなって描いたミルクの絵。アイコンにしてみた。自分らしい物作りをもっと深めていきたい、今日このごろ。

 

 

 

記憶の中の、たねうさぎ

学生だった頃か、もう少し前だったのか後だったのか。いつだったかはっきり覚えていない記憶の中に、たねうさぎはいます。

昔、椿の種をひとつ包みこむようにしながら、毛糸をうさぎのかたちに編んだことがありました。紡いだ糸だったかどこかで購入した糸だったかも忘れてしまったけど、ゴワゴワとしていて、中綿も何もなく、ただ椿の種がひとつ入っているだけのうさぎ。指の先ほどの大きさで、目も鼻もない。しっぽのようなふくらみから胴体、顔らしきもの、少しのびた2つの耳。同じ毛糸で編んだ鎖編みの紐がついて、ストラップになっていた。

可愛いとは言い難い存在。可愛くないところが可愛い存在。

そんなたねうさぎは、私の姉がもらってくれた。たねちゃんと呼んで携帯電話のストラップにしていた。無機質な携帯電話に素朴なたねうさぎは似合わなかったけど、それがたねうさぎらしくて良かった。同じようなものを23個作ってみたけれど、たねうさぎのようには作れなかった。

たねうさぎらしさとは何だろう。この世に1つしかないものなのに、らしさが際立っているのが不思議。

たねうさぎのとりとめのなさは、この頃編んでいるあみぐるみに通ずるものがある。目的もなくただ歩いている時の、散歩のような気分でかぎ針を動かしているような、感じ。目と鼻をつける時、あ、違う、この表情じゃなくてとやり直す。そう、この顔。この顔がこのうさぎらしさ、と納得してみたり。並べてみると皆違う顔だけどね。

何はともあれ可愛いと言ってもらえるものが生まれたのなら良かったし、嬉しいし。それはなんとなく良い兆しのような感覚でいます。

令和ってどんな時代なんだろう?

時間の流れがゆったりとしている時代かな。

そうだといいな。

糸紡ぎも編みものも

織物も縫いものも

ゆったりとしながらすすものだから。

日々を心地よくいられるといいな。

たねうさぎに想いを馳せたら思ったことでした。